音楽は今日も息をする。

あんでぃの音楽関連の記事を書くブログ。MONACAと田淵智也多め。

1年

こんにちは。

 

田中秀和氏の逮捕報道があった日から今日で丸1年となりました。

そこで、今回はこの1年を振り返って何があったか?その時僕は何を思ったか?というのを書いていきたいと思います。

 


有罪判決が出た

まずは何よりもこれでしょう。

今年の3月に初公判があり、5月には懲役1年6か月執行猶予3年の判決が下されました。

この中では当初報道されていた件以外にも余罪があったことが明らかになるなど、彼を応援してきた人間としては思うところが多くありました。

ただ、ここで法のもとに裁かれたことによって、当初の報道から「何かの間違いであってほしい」という心の片隅にあった気持ちとも完全に決別できて、逆に少し安心したかもしれません。

 

性犯罪への嫌悪感が高まった

もちろん事件以前から性犯罪に対して良く思うことはありませんでしたが、より強い嫌悪感を覚えるようになりました。

今回の事件でも、被害者の方が

「償い終わっても田中被告を許すつもりはない。一生恨みます」

https://www.fnn.jp/articles/-/528853 より引用)

と述べている通り、一生癒えない傷を負わせる行為であり、到底許し難いと感じています。

 

記事内では被害者の方が理不尽な誹謗中傷を受けつつも法廷の場で陳述した旨が書かれていますが、こうして記録として残ることで性犯罪の罪の重さを改めて認識するきっかけになりました。

 

楽曲を聴く機会が減った

「作品と作家の人格を切り離して考えるべきか否か」という議論は今回の件に限らず数え切れないほど行われてきたと思いますが、僕は一貫して「切り離して考えるべき」という意見でした。

 

今でもこの意見は変わりないのですが、1年を振り返るとやはり楽曲を聴く機会は減りました。

これは作者の人格に影響を受けているということの証明に他ならないのですが、「減った」という表現からも分かる通り完全に聴かなくなったわけではありません。

過去に聴いて感動した楽曲は今聴いても感動しますし、その曲を聴くことで自身の魂が揺さぶられたという事実に代わるものはないのです。

 

客観的に見ても作品と作家の人格を完全に切り離せているとは言い難いですが、ある程度切り離すことは出来ていて、報道直後の記事で書いていた「適度な距離感を測りながら作品と向き合っていく」段階になってきたと思っています。

 

楽曲のライブ披露に立ち会うことはなかった

この1年、彼が楽曲提供したコンテンツ・アーティストや、彼が提供したキャラソンを歌唱した声優のライブに何回か参加しましたが、彼の楽曲が披露されたことはありませんでした。

僕が参加していないライブやイベントで披露されたことはあったようですが、これに関しては「彼の作った曲を披露した/披露していないでライブの良し悪しは決まらないし、ライブを運営する側の彼の作った曲を披露する/しないの判断に正誤もない」と基本的には思っているので、特に不満ではないです。

 

ただ、唯一納得していないのは某声優ユニットの「彼が編曲にしかクレジットされていない曲をリアレンジして披露・発売する」というやり方です。

 

確かに別の人に編曲してもらうことでクレジットに名前は出てきません。

しかし、そもそも彼の編曲を前提に制作された楽曲であることを考えると本質的には解決していないんじゃないか?と思うのです。

「作曲と編曲の境界線は曖昧である」という話はよく耳にしますが、であれば編曲が別人に変わったからと言ってリアレンジ後の曲から彼の要素を完全に排除できているとは言い切れないのではないでしょうか。

前述の通り披露する/しないのどちらが正しいというのは無いと思っていますが、この対応はすごくどっちつかずな対応に思えて、未だに納得できていません。

 

このユニットにはこのような形でリアレンジされた楽曲が2曲あるのですが、そのうち1曲はデビュー曲なので「なんとかして披露できるようにしたい」という運営側の気持ちもある程度理解できます。

しかし2曲目に関してはただただ受け入れ難く、そんな曲が披露される可能性のあるライブにチケット代を払って参加する気には到底なれないので、今後そのユニットの出演するライブに行くつもりは無くなりました。

 

これは運営の方針と合わない人間が無理についていこうとする必要はなくて、自分の納得できる向き合い方をしましょうねというだけの話です。

(実際このユニットに関しては他に好きな曲もあるので、今後も日常生活の中で聴き続けるつもりですし)

 

"っぽい曲"が出てきた

「この系統だったら彼の曲が聴きたかったなぁ」と思ってしまう曲が世に出るようになってきました。

一部ではその曲自体に抵抗がある人もいるようですが、僕が観測した範囲内の曲に関して僕自身はそれなりに良いと思っていますし、流し聴きする分には特に気になることはありません。

ただ一瞬のフレーズや楽器の使い方に「彼だったら」という考えが横切り、純粋に楽しめない瞬間もあります。

 

当たり前のことですが、その人の楽曲はその人にしか作れないということを再認識させられました。

 

復帰してほしいか?

今の段階だと「してほしい」以前に「出来る・出来ない」の段階なので、まずはしっかりと罪を償って社会復帰してほしいと思います。

それでもし「作曲家として復帰します」と言うのであれば今の僕は受け入れたいと思っていますが、本当に受け入れられるかは何とも言えないです。

今はとにかく「その時」を待つしかないと思っています。

 


最後に

改めて振り返ると、この1年で整理がついた部分とついていない部分がありますが、これからも向き合い方は考えていくことになるだろうなと思っています。

 

そして今回書いたのはあくまで僕の意見であって、色々な意見があって当然だと思います。

みなさんがどう思っているのか、改めて聞かせてもらえたら嬉しいです。

 

もし何かありましたらコメントもしくはあんでぃくんさん (@aPnKdMyN) / Xまでどうぞ。

 

それでは〜。